ご自身「とんでもない」と書かれていて、読み終えた方々も相当なショッキングな…といった感想を書かれているこちら。noteで500円(てことは2ユーロ50とか少額)なので私も読ませて頂きました。
機能不全家族であったという彼女のご家族の内情。

これがドギツくてショッキングなのであれば、私は自分の記事で読者様方に結構な負担を強いているのか…?
と反省しました。しかし私はことあるごとに書く。書き続けるのです。ここは私の庭だから。
ただ今後は忘れず毎度『機能不全家族ネタだYO!』は冒頭で告知しましょう。
ばななさんもお父さまも私は作品を存じ上げません。
ドイツに来て最初に家をシェアしたドイツ人の女の子が

吉本ばなな読んでるよ、「キッチン」て作品。知ってる?

名前だけは聞いたことあるけど読んでないわ。
という会話をしたのを覚えています。ばななさんて国際的な小説家なのだなあと感心したので。
ばななさんのお母さまが精神的に不安定で、ざっくり分けるとばななさんが搾取子、お姉さまが愛玩子という役割で家庭が成り立っていた模様。(いや、どちらも搾取子にも見えるかも。)
搾取子とは
親の感情や都合を満たすために利用される子ども
家事・育児・介護などを過度に担わされる
親の機嫌を取らされる
親の感情的サポート役(愚痴聞き役など)を強いられる
「しっかりした子」「親代わり」として機能させられる
自分のニーズよりも親・家族のニーズを優先させられる
ヤングケアラー、親子の役割逆転
親の期待を叶えるために生きるといった役割を押し付けられやすい
愛玩子とは
親から特別に可愛がられ、家族の中で優遇される子ども
子ども自身の意思・感情は二次的で、親の理想像を演じさせられる
過干渉・過保護と表裏一体
自立を阻まれ「親の延長」として扱われる
やたら褒められ兄弟姉妹より優先される
親の理想や自慢の対象になる
何も知らずにこれを見ると「愛玩子はえこ贔屓(ひいき)されていいのでは?」と思いがちですが、とんでもない。搾取子は当然として、愛玩子の予後も行きつくところまで行くとこうなるという究極の状態がばななさんのお姉さまの状態と言えるでしょう。もちろん具体的な現象の現われ方としてはこのスタイル一択ではなく様々ですが、もう完全に精神が崩壊してしまうところまで行ってらっしゃる。

親はそこまで子供を追い詰め、精神を粉々に叩き潰し、再起不能なまでに何もかもを破壊し尽くし、それでも自らは一切楽にならず救われもせず、周囲を焼け野原にしてこの世を去る
(まさに草も生えない)
これは氷山の一角だ。こういう人は社会に山ほどいる。
ばななさんは自分一人で抱えきれず、名のある家族で注目されてしまうことも覚悟の上で、抱えきれなくなった分を外に漏らしたのが今回の記事でしょう。これは彼女一人が漏らした・・と見えて、実はここでもやはり『彼女の(ご先祖含めた)家系全体が』家系内ではいよいよ持ちこたえられなくなったので、外に伝える係としてばななさんがその役を担ったということ。辛い役割だ。

この姉妹お二人は母上に幼少期から完全にロックオンされ、いつ爆発するか分からない時限爆弾を抱えハラハラしながら一分一秒を過ごさなければならなかった。ことあるごとに怒りをまき散らし、あまりに理不尽な尻拭いいをひたすらさせられてきたお二人。ばななさんは母上を切り捨てたと書かれていたが、最後まで絶縁でも連絡を絶つでもなかったようで、切っているつもりでその実態はほぼ変化なく地獄。

お姉さまの方は自分の人生のために母に立ち向かうよりも、母に降参し言いなりになる道を選び、あらゆる場面で全力で足を引っ張られ人生を食い潰され‥何もかもに干渉し、否定し、外の世界に出れば3分おきに電凸する母…分かりすぎるほど分かる。辛い。その状況から逃げられずそれしか選択肢はない、という究極に追い詰められる状況も本当によく分かる。
あれは私が母に白旗を上げて未来を諦め、常識に流され就職して日本に居続けていた先の姿だ。パラレルワールドの私だ。
精神と心がとことんまで破壊し尽くされると、日常生活のなんてことない作業すらままならなくなる。それもよく分かる。虐待を受けてきた人は脳の状態がADHD(注意欠如・多動症)と非常に似た状態になると言われますが、お姉さまの現状がまさにそうであろうかと。
母親が何故そこまで娘たちに執着し、自らの思考も感情もコントロールできないほど錯乱したかといえば、それは親に対する怒り。子供のころに何故自分をありのままに受け入れてくれなかったのか、愛してくれなかったのか。全ての問題はそこに帰結する。いわゆる愛着障害といわれるものですね。
その怒りは後年になって凄まじい勢いで暴発する。内側の世界で。家庭内で。弱い立場の身内に向けて遠慮なく。親に対する日々膨れ上がる恨みを晴らさん!とばかりに。
しかしそれが『自分を受け入れてくれなかった親に対する憎しみだ』と気付く人は多くない。
それは怒りの種。近所の人が挨拶しなかった、子供がうるさい、同僚が云々…外側のきっかけは本当は関係ない。何がどうあろうといつも怒りで溢れかえっている。どんなことであれ歳を重ねるごとにその怒りの暴発は止まらなくなる。

それを何とか宥めすかし家族を家族の形に保つ努力をしてしまうのが、素直で優しいいい子だ。自らを犠牲にしてまで。大抵は長女。ばななさんファミリーもそう。

それは一見美談に思える。自らを犠牲にしても親に尽くす人生は。
よく頑張っていますねと親族に、世間に褒められればまだマシ。大抵は当然だと言わんばかりに消費されるだけ消費され尽くし、報われず朽ちる。
そこには先がない。果ては死屍累々、誰も幸せにならないのだ。
だからこそその原因をじっと見つめ、その奥に何があるか観察し見極め、表象的な出来事は実は関係ないのだと理解する人間が必要になってくる。必要になるということは、そういう役回りを負った人が生まれてくるということだ。


その闘いは苛酷だ。
この世界は親の言いなりになり、慣習に従い犠牲になってでも、不自然な生き方であろうとも、自らの人生が立ち行かなくなろうとも、波風立てず「人生ってそういうものだよね」と流されることが『大人である』などと言われる場所だ。
その闘いはその他大勢を敵にする闘い。社会に楯突く四面楚歌の中で、ボロボロの自分と家庭と家系を亀の歩みで補修していく気の遠くなるような作業なのだ。
ばななさんの記事で集まったお金はお姉さまに周るという。
たった2.5ユーロでも、彼女の気持ちが軽くなる役に立つのであれば私は嬉しい。
けれども実際は、たとえ10兆円積まれても、人生70年近く敬意なく踏み躙り利用し尽くされた彼女の人生は帰ってこないし、そこで認知力も決断力も行動力も破壊されてしまった彼女の心が軽くなることは全くないことも知っている。

彼女は夢を諦めて日本にいることにした時の、パラレルワールド上の私なのだ。

私は日本が嫌いで国を出たわけではなくむしろ大好きだ。
ドイツが大好きでドイツに住んでいるわけでもない。
なので何度考えたか分からない。
あの時日本に残って or 留学後本帰国して日本で幸せに生き延びる道はあったろうかと。
何度も考えた。今でも何度も考える。
しかしこの年になってあれもこれも分かるようになり、あれもこれも可能になってさえやはり『道はなかった』と確信を持って言える。どれだけシミュレーションしても、人生を賭けて全力で、日本の地の果てまでストーキングし、鬼の形相で娘(=私)にロックオンして、私の人生片っ端から何もかもを吸い尽くし叩き潰し、それでも飽き足らず呪いをぶちまけ倒す実母の姿が目に見えるからだ。
人は怒りの種に向き合わないと、巨大な呪いの塊になってしまう。それはもはや人間ではない別の何かなのだ。
彼女をそうしたのは何なのか。
彼女自身であることはもちろんのこと、その先代である彼女の親、祖父母、その上の世代。配偶者も責を免れない。


それをどうにか正常にするという作業は、ゼロからプラスを積んで目に見える分かりやすい活躍ではない。その活躍を『陽』とすれば、ゼロレベルに持って行く作業は誰にも気づかれない、どデカい破損の穴をひたすら修繕する『陰』の作業。それも世間の逆境のただ中で。
その親からの子への至上命令はこうだ。
これだけ自分は苦労しているのだから、何としても報われなければならない。
お前がその報いとなれ。
誰よりも社会から認められ羨まれ素晴らしいとされる、自慢の存在になれ。
しかしお前ごときが幸せになるなんて絶対に許さない、自分はこれだけ苦労しているのだから。
どれだけ成功し高い地位につき最高に自慢の子供となっても、最高に不幸であれ。
これに尽きる。これ以上でもこれ以下でもない。
だからこそ、どこまで行っても親の子に対する欲求は尽きない。
社会から認められる人間になれば、それなりに幸せはついてくる。人脈は広がり素晴らしい人との出会い・繋がりができ、収入も上がり、名誉も得られる。そこで子が幸せそうな素振りを見せると、最大の親不孝とでも言わんばかりにバチ切れ、全力で足を引っ張る。


普通レベルであれば今度は、何者にもなっていない自慢にもならない役立たずの子供として小突き回される。不幸そうな顔をしていれば留飲は下がるのだろうが、これまた辛気臭いと気に入らない。いずれにせよ全存在・その在り方を全力で否定される。
何をしても満たされることのない、親の飽くなき要求と欲求にひたすら付き合うことは、決して親孝行ではない。それは緩慢な心中でしかない。
その奥にある真実を見抜き、対処する方法を捻出し、覚悟を決め、実行に移す。そのためには知性も、忍耐力も、決断力も、行動力も、勇気も、闘い続ける気力も要る。
本当に碌でもない役回りだ。
そしてそれがどうしてもできないという人のことも、私はとてもよく分かる。とても責められない。
ばななさんは今こう言う形で外にSOSを出された。あれは告解の形を取ったSOSだ。
今まで一人で抱え込んでらしたのだろう、今後はできるだけ公の機関に助けを求めるなどして少しでも荷が軽くなることを祈ります。
本日もお読みいただきありがとうございました。
余談:算命学サイトなので一応算命学的見解も少しだけ。

おお、そうなのか!
と少々驚いたのが

ばななさんと件のお姉さまはご両者「甲戌」の日座中殺で、律音姉妹でいらっしゃること。
ある種双子のような運命を辿るといいますか、そのような運の分担になりがちなお二人。
そしてお姉さまの方を見せて頂くと、お母さまを突き放してでも自らの人生を!となれなかったのもよく分かります。そりゃそうなるよね…と。これは辛い。辛いけど…と過去のことを言っても仕方がありませんね。
ばななさんの方はそれに対して、ある程度距離を置く(ご本人は『切り捨てる』という表現をされていたような?)ことができたのも命式から分かります。ほんの少しの一歩でもないよりは救いになる。
お二人の今後の平穏を心から願ってやみません。本当に。




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