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頑張る・頑張らない、頑張れない期間の意味

 

うん、元気になってきたから書ける!

人間、調子が上がったり下がったりしますよね。

調子がいい時は何でもできるのですが、調子が悪い時。

その悪いフェーズの中にも上がったり下がったりの小波があって、ひょこっと一瞬波が上がる瞬間ってあります。

 

Northeaster by Winslow Homer 1895

 

それを虎視眈々と狙って『今ならいける!』という瞬間にガッと捕まえてその波に乗り、こうして記事を書いたりエアロビをしたりするのです。

人生は波乗りのよう。

 

本当は頑張れなくてもいい。

頑張って頑張って結果を出すことが良しとされやすいこの社会。

昨日のこの記事にも関連するのですが

分かりやすく表で活躍するという魅力
華々しく表で活躍しても、黒子として裏で能力を発揮してもいいのですよ。でも命式によっては分かりやすく目立つ成功を追い求めるよりも、影の立役者として機能した方が運が開くし自分も満足というものがあります。表と裏も陰陽の関係で、波と同じ。一生の間に...

 

分かりやすく頑張って、分かりやすい地位名誉財産を目標とし、表舞台で分かりやすく華々しく活躍する。

そういうタイプで器の人もいればそうじゃない人もいる。

たとえそういう人であっても、0から100まで表で突っ走るだけの人生というのはない。

陰陽は小さく、中くらいに、そして大きく常に入れ代わり立ち代わり表れて、両方が必要であることを知るのが人生だから。

 

頑張れる時と頑張れない時。

何というミーハーなフォントとカラーなのでしょう

 

頑張れないというより、それは本来『頑張らなくていい時期』なのだろうと思う。

いや、もちろん

そんな風にご都合主義のキレイな言い訳捻り出してサボってるだけじゃネーノ?

と度々思いますよ、私も。

けれども、特に自分に無理してでもがむしゃらに常に前に進まなくちゃ!功績を上げなくちゃ!と真面目一辺倒の人は(そして特に機能不全家族の中で搾取子だった人は)、強制的に体が動かない・・・みたいな時がないと『頑張らない』時を経験できない。

 

 

もっというと、この期間が定期的に廻ってくるというのはつまり

頑張らなくても自分はOKな存在なのだと知れ

頑張らない自分もれっきとした自分の一部、忌み嫌う必要なんてさらさらない

頑張らなくても大丈夫だと繰り返し体験することで、他人や社会、この世界に対する不信感を克服しろ

ということなのだろうと思っています。

これが万人に当てはまるかどうかは分かりませんが。

 

これ実はめちゃくちゃ大きいのですよね。とても大事。

何故なら『頑張らなければ存在意義なし』の観念も、上の世代から受け継いだ立派な家系のだから。

その毒を毎度の小波に乗り、真正面から捕まえて対峙することで少しずつ雪(そそ)いでいく。

 

 

それも因縁解消の地道な作業の一つなのです。

何世代もの時代を経て積み重ねられた家系の毒(因縁)は派手なご祈祷なんぞで一発逆転スッキリお掃除完了!なんてならない。ならないのよ。

時間をかけて積み上げられたものは、その血を継ぐ本人たちが時間をかけて解体し掃除していくしかない。それが自然の摂理。特に精神に刻印されたものに関しては。

 

その一つ一つは日常生活に紛れた、実に地味で気を付けていなければ見落としてしまうような思考の癖、言動の癖。

それを否が応でも思い出させてくれるのが『分かりやすく頑張るということができない時期』

 

こんなの1回だけじゃすぐ忘れちゃいますものね。

何度も繰り返し必須の基礎練習のように思い出させてくれる自然界。

ありがたいことなのです。

ただしその期間とってもキツイけど(笑

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

全然頑張れない時の私

ブリューゲル(父)『怠け者の天国』1567年

 

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