華々しく表で活躍しても、黒子として裏で能力を発揮してもいいのですよ。
でも命式によっては分かりやすく目立つ成功を追い求めるよりも、影の立役者として機能した方が運が開くし自分も満足というものがあります。
表と裏も陰陽の関係で、波と同じ。
一生の間には表に立つ時期という小波も、裏で活躍する時期という中波も来る。
でももう少し大きな波で(大局的に)見た時
今世は主に裏方ポジションの役割をじっくり体験し味わい尽くす
が要であるという人生もある。
この陰陽というのは
常に入れ代わり立ち代わり回転しているもの。どちらかだけというのは有り得ない。
表を十分やれば次は裏。そしてまた表。
同じところに戻ってきているようで、その実次元が上がったり下がったりなので完全に同じということはまずない。
つまりぐるぐる手を変え品を変え立場を変え、陰にも陽にもなることで両方とも自分なのだということを骨の髄まで感じ取って理解するのがこの世に生まれて来た目的。
なので
今世は主に裏方ポジションの役割をじっくり体験し味わい尽くす
が目的であったとしても、人生には表に立つ瞬間もあればそれどころか主役になる時期もある。
でもやはり根幹の在り方は裏方でありそこに戻ってくる。
表も裏も等価値。
男女も昼夜も、引き潮と満ち潮も、長調と短調も、息を吸うも息を吐くも等価値であるように。
白猫も黒猫も価値は同じ
でも有形物質世界であるこの世の中では、特に視覚に引きずられる人間にはつい
分かりやすく華々しく有形物質の果実をより多くもぎ取る人生こそ意味があり素晴らしい
と見えてしまう。
何だかんだ言いながらも全人類の99%はその思考で生きているでしょう。
となると
今世は主に裏方ポジションの役割をじっくり体験し味わい尽くす
を目的にこの世に生まれてきた人は、本来の目的を見失いやすいですよね。
だって裏方で功績を残しても、表で活躍するほどには注目されない、賞賛されない、価値を認められづらいから。
分かりやすく活躍するという魅力に引きずられてもいい。引きずられるならとことんまで。
究極まで行けば陰は陽に、陽は陰にひっくり返る自然の流れから、また本来の自分のあるべきところに戻ってくる。
要は
陰も陽も両方大事、両方合わせて自分
ということの理解へ1歩でも近づけばそれで十分なのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
雪中相合傘、鈴木春信
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