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ダイアモンド・プリンセス号の時期、そしてそれ以前北イタリアではどうなっていたか

やっぱりそうか、やっぱり!

と思ったお話があったのでざっくり訳してみます。

元の記事が長いので、抜粋ですが長いです。

このサイト によると、中国が初めてのコロナ新型肺炎患者を公式に記録し始めたのが 1月22日。

私が初めてブログに新型肺炎について書いたのがこの記事で 1月23日。

ちょっと気になること

そしてこの記事。

この頃って湖北省、武漢あたりで感染が爆発的に増え、ダイヤモンド・プリンセス号が問題になっていた時期です。

中国では人々は外出禁止、完全封鎖、頭の天辺から足の先まで完全防備の人が大勢街を消毒して周っていた時期。

上のリンク先記事 を見ると

ドイツの感染者数を1週間以上 ( 10日間は確実に ) 観察しているけれど、16人から一向に変化がない

感染が猛威を振るっている中国との人の行き来を全く制限していないのにそれはおかしい

全く検査していないか、検査しても隠しているかのどちらかだ

と書いています。

ちょうどその頃の北イタリア、今世界が注目しているロンバルディア州 ネンブロ ( Nembro ) という小さな街で何があったかのお話です。

Die Stadt, in der die Glocken nicht mehr läuten もう鐘を鳴らさない街

死者を弔う時に鳴らす教会の鐘がストップしたのは今年 3月7日。

4人の葬儀があったその土曜に、もう死者のための鐘は鳴らさないことに決めたのです。

その日は一日中弔いの鐘が鳴っていたようなもので、街全体が言い様のない苦痛に満ちていた。

ネンブロという小さい街には11500人の住人がいて、1つの教区に5人の司祭が担当する多くの教会がある。

うち4人は病気になり、40歳で一番若いドン・マテオ ( Don Matteo ) だけが今も元気。

このネンブロという街はベルガモの北にあり、コロナ新型肺炎で歴史的死亡率を記録している街である。

歴史は繰り返す。

1630年、ネンブロの街は2700人の住人の内4分の3がペストで亡くなり、744人しか生き残らなかった。

そして今、コロナの嵐が吹き荒れている。

この街では去年1年で120人、つまり1か月に10人のペースで人が亡くなった。

それが今では12日間で70人が命を落としている。

司祭助手によると

感染症が広がり始めた頃から今現在までに

39人の葬儀を教会で

26人分を教会の墓地で執り行い

まだ埋葬されていない死者が26人いる。

この91人には、ここ数日でどうなったか分からない ( =生死の情報が入って来ていない ) 住人は含まれていない ( つまり死者はもっといるはずだと )。

こんな状態で何気なく撮った写真ですらここまで美しいというのは、流石イタリアでイタリア人である by 私

街は静まり返り非現実的に見える。

誰も路上におらず、店は全て閉まっている。食料品店も薬局も、である。

買い物には行けず宅配のみ可能。

少し前までは市庁舎前の広場は子供で一杯だったのが、今は誰もいない。

政府がロンバルディア地方を完全封鎖すると決定してから、まるで凍結してしまったかのようだ。

イタリアで最初にコロナ感染患者の存在が認められたのは3月頭だが、実際はもっと早くに始まっていたようだ。

ドン・マテオは言う。

自分は医者ではないのでこれが正しいと主張するつもりはない。

しかし次のように思うところがある。

この感染は確認されてはいないものの

今年の始め、いや、既にクリスマスには始まっていたのではないだろうか。

まずこの街の老人ホームで異常な数の人が亡くなったんだ。

1月には20人が肺炎で亡くなった。

そうして毎週葬儀が増えて行き、皆その酷い肺炎について話していた。

カーニバル前には街全体の半分が発熱して床に臥せっていた。

( 注: カーニバルスタートは2月8日予定だった )

子供が参加するお祭りやパレードは取りやめにした方が良いんじゃないか、子供たちの集まる宿題部屋も閉めないといけないんじゃないか、と皆で話し合ったのを覚えているよ。

子供たちをそこで世話している大人たちが病気になったからだ。

でもその頃コロナはまだイタリアでは全く話題にも上っていなかった。

一体私たちの内どれだけが既にコロナに感染していたのか、知らない内に回復していったのか分からないよ。

マテオは普通若い信者の世話をしているが、どんどん誰も来なくなったのでミサを中止することにした。

でも出来るだけの間病人やその家族と関わり続けた。

その際可能な限り注意して接したつもりだが、現在健康な司祭は彼だけだ。

入院している司祭もいれば、家で養生して回復した司祭もいる。

その頃からコロナで亡くなった人たちを埋葬し始めた。

最初の葬儀には家族も参加していたよ。

3月の第一週だけで14人の葬儀を執り行った。

普通なら1週間で2人なのに。

政府が葬儀を禁止する前、最後に行った葬儀は52歳のマッシモのものだった。

彼には12,15,25歳の3人の娘がいて、それは 3月7日 土曜のことだった。

葬儀には娘と妻だけが参加し、他の人たちは安全な距離を置いて霊きゅう車とともに中央広場にいたよ。

マッシモは、コロナのパニックが国に広がり緊急事態が最高潮に達した時に家で亡くなったので、コロナに感染していたかどうか解剖されていないんだ。

私たちの掛かりつけの医師が最初にコロナに感染し、隔離された。

だから聞く人がおらず、本当のところが分からなかった。

カオスだったんだよ。

マッシモは1週間高熱が出続け、熱は上がり続け、呼吸困難に陥った。

助けを求めたが、衛生士が駆け付けた時には息絶えていたんだ。

この日から葬儀に鳴らす鐘をストップしただけでなく、救急車も出来るだけ音を消して移動するようになった。

皆が絶え間なく葬儀の鐘や救急車の音を聞いて激しく気落ちせずに済むようにだ。

今では葬儀は ( 感染の危険から ) 禁止されているので、ドン・マテオができるのは死者が墓地に運ばれるのに同伴することだけ。

遺族が私に知らせ、私は棺や骨壺に向けて神のご加護を祈る。

本当に悲しいよ。

彼らが少しでも人間らしく終わりを迎えられるように、ベストを尽くしているよ。

今病院でコロナ感染者が亡くなる時の状況は全くもって異常である。

完全に一人で旅立たなければならないからだ。

血縁者は愛する人が救急車で運ばれていくのを見送るが、それ以降は逝去の連絡が来て荷物を引き取りに行くまで何も分からない。

店を全て閉めなければならなくなった時、市政は牧師に次のように依頼した。

食料品は配達可能であると市民に伝えて欲しいと。

店はその準備を、マテオは15から17歳の若者40人のチームを編成し、各家のポストに情報を投函するよう手配した。

彼らが自発的に参加して、病人、お年寄り、そして隔離されている人たちに薬を届けたのには深い感銘を受けたよ。

私たちはこの地域で再び強い連帯感を持ち、人の持つ親切に深く感動したよ。

( 以下略 )

イタリアは感染の爆発に気付いてカーニバルを中止にしましたが、ドイツはしなかった。

このブログでも、その時の懸念について書いた記憶があります。

今のところドイツは感染者は激増しているものの、死亡者数は他国に比べてかなり抑えられているようです。

でもアンゲラ・メルケルドイツ首相も感染者との接触が判明して、自ら自宅隔離に入りました。

本当にこのまま何とか拡大のスピードが落ちて、ワクチン・特効薬が思いのほか早く開発されて、早く収束することを願うばかりです。

日本はもう学校が平常通り再開するとか。

皆お花見をしているとか。

まだまだ収束なんてしない、これからなので、皆様もお気を付けて。

ご自愛くださいませ。

 

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