フランクフルトにまたコンサートを聴きに行ってきたのですが、街を歩いていて目に入ったこれ。何か分かりますか?

路上に埋まっているものなのですが、私は街に歴史的な記念碑や説明文、慰霊碑などあるとつい興味が引かれるタイプで、必ず文章は読み込んでしまいます。
ここに書いてあることを訳してみますね。
孤児のメリーゴーラウンド
ナチスによる迫害のプレッシャー下で、多くのユダヤ人家族がドイツからの逃亡を試みました。
1938年から39年にかけて行われた「キンダートランスポート/ 子ども移送」は絶望的な状況にあった人々に、少なくとも自分たちの子どもたちだけでも安全な場所へ送り出す手段となります。
そしておよそ2万人の子どもたちがこの計画によって救われたのです。フランクフルト中央駅はキンダートランスポートの出発地点のひとつでした。
親たちは別れ際に『ほんのちょっと離れ離れになるだけだよ』と子どもたちに言い、自分自身もそうであることを願いました。
しかしそのほとんどは永遠の別れとなったのです。なぜなら家族の大半がナチスの強制収容所で殺害されたからです。
そして顔を上げると

またね(親が子に向けて、すぐに会えるよという意味で)
またね、お母さん(右側)
がくるくる回っています。

またね、お父さん。
足早にその場を立ち去った私は
歩きながら路上で泣きましたね。
またすぐに会えるからね
と何とか子供たちをなだめすかして汽車に乗せる光景がありありと脳裏に浮かんで。
子供たちはきっと嫌がったでしょう。
親から離れるのは怖かったでしょう。
凄く小さい子もいたでしょう。
同じくらい親たちも大きな恐怖に押し潰され、心配で震えが止まらなかったでしょう。
強制収容所に送られるも地獄、生き残るも地獄。
自分で身を守る術のない子供たちはその後どうなったのか・・
1938~39年であればまだまだ戦争は続き、仮に運よくどこかに身を寄せることができていたとしても苛酷極まりない扱いを受けたのではないか・・
など想像と心配が止まらず暗澹たる気持ちになりましたね。
先週数日間、南ドイツの友人を訪ねに行っていたのですが、その街の中央駅にも当時ユダヤ人たちが残していった物のモニュメントがあって
ここから大勢のユダヤ人たちがまとめて強制収容所に送られて行きました
と説明文がありました。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ドイツには至る所にそういった記録が見られます。

電灯と左の建物を見るとまだ今でも石畳を馬車が走っていそうな雰囲気なのに、向こうには近代的な高層ビルが聳え新旧の共存が不思議な感じのフランクフルト。

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