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そこにあるのは本当に愛なのか

 

やっと!一人の時間が持てています。木曜日から学校休み&イベント尽くしでしたのでPCに向かえなかったのです。一人の時間、貴重すぎて涙出そう・・・。

 


 

 

さて。

子供を育てていて

ちゃんと必要最低限の愛情を受け取りながら成人する人ってどのくらいの割合なんだろう?

とよく思う。

 

子供が成長するにあたり、子供自身が本当に必要とするものを与えるって大変だ。

とこういう話題になるとこぞって衣食住&教育、エンターテイメントあたりの物質面ばかりが取り上げられる。でも子育てしていて心底感じるのは、子供が欲することって一緒に時間を過ごすこと、話を聞くこと、何よりちゃんと注意を向けること。親の関心の第一が子供である自分であること。

もちろんそのためには健康で文化的な最低限の生活を送れる物質面の充足は無くてはならない。でも「金は払ってやってるだろう」と最も肝心なところを全部パスしたがる親は実は多いと思う。

 

何故なら疲れるから。面倒でもあるから。自分の習慣もあり方もスタイルも大きく変えざるを得ないから。

算命学で「あなたは身強でエネルギー値が高いですね、無限にエネルギーを出せますよ」と言ったところで人間に与えられた時間は万人に平等の1日24時間。その中で自分の時間と子供のために使う時間をどう割り振るのですか?エネルギー分配、子供のためにどれくらいエネルギーを使うんですか?を子供たちは見てる。本質をちゃんと肌で感じ取ってる。

 

よく「〇〇さんは溺愛されてきたから何もできないし我が儘だ」などと言う話がある。

あれはしかし本当のところは愛に溺れてなんかいない。むしろ果たしてそこに愛はあったのか??くらい愛情枯渇状態だったのだろうと、この歳になると分かる。

 

Mother and child, 1900 by Charles William Bartlett

 

例えば芸能人の子供が昔から何でも物を買って貰えて、お小遣いもたくさん貰って、周りの大人にはちやほやされて成長し、挙句の果てに犯罪者になったりする。「溺愛されてきたから」などと言われるけれど、そこにあった愛らしきものはカスカスだったのだろう。そこで起こっていたことの本質は、親が自分の人生を子供の人生より遥かに優先しているということ。子供と時間を過ごし忍耐強く話を聞いたり、会話したり、何かを教えたり、一緒に何かを楽しんだり・・・という時間もエネルギーも膨大にかかる手間をお金で誤魔化しパスし続けただけ。ああ面倒臭い面倒臭い、そんな地味で誰にも評価されないようなことやってられるか、サボってもバレないわと。そんなことよりもアタクシ/俺様は自分の輝く人生を謳歌する権利があるのだ、と。

 

世間は表しか見ない(しそもそも大して関心がない)ので「仕事も子育ても両立して素晴らしいですね」などと持ち上げてくる。今までのようにアタクシ/俺様一人の人生を最優先する生き方を継続していてもそんな風に持ち上げられ、子供というのは何と便利な “ 輝くアタクシ/俺様の輝く人生を彩るアイテムでありアクセサリー ” なのか!と味をしめてしまう。そこに子供は感情も気持ちも考えも意志もある一人の人間なのだという視点はない。都合の良いアイテム。

子供はそれを正確に感じ取る。それでも子供は健気に「そのうち親は改心し本気でこちらを向いてくれて、本当の愛をくれるかも知れない」と無条件に親に愛を注ぎ続ける。現実にはお金やモノだけは渡されるが関心すら向けられず、必要最低限の愛すら得られない。そしてその子は愛情を注ぎっぱなしの枯渇し切った状態で大人になってしまうので、その苦しさを紛らすために変な人間やビジネスに引っ掛かったり、犯罪に走ったり、精神を病んだりする。

 

これは極端な例ですが、これに類似したことは多く起こっていることは想像に難くないのです。

たとえば家事が全くできない男性。

甘やかされ愛されてきたというよりは、手間も暇も時間もかけて家事を根気よく教えるというものすごく面倒なことを親がサボった結果そうなってることも多いはず。いちいち教えるより自分がやった方が早いわ!というのはつまりは子供の学ぶチャンスを奪っていることに他ならない(自分で書いていて耳が痛い・・)自分の楽>>>>子供の未来 という不動の優先順位。自分も用事はささっと済ませて自分の時間が欲しい。時間をかけてゆっくり教えるより手間も暇も掛からないからいいじゃないかと。これも結局は親が自分の楽を子の成長より優先させた結果。

 

でも親にしてみれば

衣食住&金は払ってやってんだぞ、自分は立派な親だ、感謝しろ

となり、世間も他人の家庭なんて基本どうでもよく

(物質的に)十分恵まれてるんだから甘えてないで自立しろ

などと知った風情で嘯く。

モノやお金を十分与えられている子ですらこういうこともあるので、況やネグレクトをや、である。

 

いい年の大人が異常なまでに承認欲求を拗らせていることが(多々)あるが、あれは子供の頃「〇〇ちゃんはすごいわね~」と言われ続けたからではなく、逆に周りの誰にも本当の意味で関心を持ってもらえなかったことの反動なのだろうと思っている。瞬間瞬間にチラチラと表面だけちやほやされるということと、誰かに本当に継続的に大事にされる、愛される、自分の存在を信頼されるということは似て非なることなのだ。

 

子供を見ていると、小さい頃はそりゃあもう何度も何度も何度も何度も親の元に来ては親が自分にちゃんと関心を向けてくれているか、親が自分を大事に思ってくれているか、自分が親にとって1番の存在なのかを確認しに来る。「いやもうさっきそれ言いましたやん・・」となるほど、ウンザリを通り越して白目で気が遠のくほど愛情を確認しに来る。まともに相手をするとものすごいエネルギーも時間も吸い取られる。

 

でもそれこそが子供にとっては成長する上で最も必要なことなのであって、それこそがその時期の子供のやるべき仕事なのだろう。

 

そしてそれをずーっと続けていると、その内その確認行動が少しずつ減って来る。

お母さん/お父さんは自分のことちゃんと見ててくれてるかな?大事に思ってくれてるかな?

と思っても、何億回も繰り返すことで

こういえば大丈夫と返って来る、こうすればちゃんと見てるよ、すごいね、と関心を向けてくれている

それを自分は知っている

じゃあもう確かめに行かなくていいかな、自分はもう大丈夫だな

と反復学習で少しずつ自己イメージが作られていく。

大人になった段階で、基本自信があって、外的事象に頼らずとも基本気持ちが安定している人というのは、家族関係がある程度安定した家庭育ちの場合が多い。そこはかとなく感じられる

何があっても私は僕は大丈夫でしょ、自分なら何とかなる、自分ならなんとかできる

という自分への信頼感。そして自分が好きという感覚。

生きて行く上でこれ以上の財産ってあるだろうか。

 

色々書きましたが、先日行ったテーマパーク。入場料が結構高かったのですよね(ディズニーランドくらい)。でも園内は好天もあって大入り満員、私の子供たちもとても楽しめた。しかし世の中にはこれくらいのお金のかかるイベントを経験できない子だって沢山いる。じゃあこういうところに来られる子は幸せで、そうじゃない子は可哀想で不幸かというと、全然そうじゃないよなあ・・・なんて炎天下でチリチリに肌を焦がしながらくるくる回るブランコに乗りつつ考えていたのでした。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

コメント

  1. 佳代さま
    はじめまして(^-^)
    ドイツよりいつも楽しい記事をありがとうごさいます。
    どぶさらい(笑)出身で只今3歳児を育てています。
    今日の記事は格別‥格別に泣きそうになりました。
    夜私がベッドを離れても子供が確実に寝ていてくれるようになったら(笑)
    佳代さんの鑑定を受けたいと思っています♡

    • どうもありがとうございます。ドブさらい仲間でしたか!笑
      今お子さん小さいからなかなか寝られなかったり大変な時期ですね。
      またいつでもお好きな時に鑑定を受けにいらして下さいね。
      ちなみに鑑定中お子さんが『ぎゃああああ!』みたいになっても私の方は全然かまいませんし、今までも何人もそういう方はいらっしゃいましたので、当方に関してはお気遣いなさらないで下さいね。

      • 佳代さまお返事ありがとうございます。
        嬉しいです(^-^)
        「ぎぁああああ!」の中の鑑定も考慮していただきありがとうございます。
        「ぎぁああああ!」←(ツボにハマってます笑)がいると私の方が気が散ってしまいますので
        佳代さんの鑑定を「ぎぁああああ!」に邪魔されたくないので笑
        鑑定を依頼する際はひとりの時間が確保できた時にと思います♡

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